【抑肝散】認知症患者の治療ならびに日常生活動作の改善に効果/論文の意義
西洋医学では対処法に乏しく困っている領域
認知症患者の行動・心理症状(BPSD)の治療に加え日常生活動作も改善する-抑肝散(よくかんさん)
認知症では病態が進行すると妄想、幻覚、興奮、抑うつなどの心理症状や暴言などの行動症状といった周辺症状(BPSD)がみられるようになり、介護をする患者の家族や医療従事者に大きな影響をおよぼすことが問題視されています。この認知症のBPSDに有効とされている漢方薬が『抑肝散』です。
今回、松田勇紀先生(藤田保健衛生大学医学部精神科)らのグループは、国際的に科学的根拠、エビデンスを評価する標準手法に従い、過去に発表された複数の認知症に対する『抑肝散』の無作為化対照試験から得た個々の患者データの系統的レビューとメタ解析(メタアナリシス)を行い、『抑肝散』が認知症のBPSDに対して既存の治療よりも有効である可能性が高いことを報告しました。
漢方薬の効果をメタアナリシスの手法で明らかにしたのは、世界でも初めての貴重な報告です。この研究成果は精神・神経疾患に対する薬剤の薬理作用などに関する報告を集めた国際的な専門誌「Human Psychopharmacology Clinical and Experimental」の2013年1月号に掲載されました。
背景:認知症患者の行動・心理症状(BPSD)は、認知症の治療・介護をめぐる最大の社会問題の1つとも言われ、抗精神病薬などの既存薬では有効な薬剤が少ないことから安全性が高く良好な忍容性を有する薬剤が求められている
最新の厚生労働省研究班の調査によると、65歳以上の高齢者で認知症の人は推計で人口の15%、2012年時点で約462万人に上ることわかっています。このほかにも認知症になる可能性がある軽度認知障害(MCI)を有する65歳以上の高齢者も約400万人いると推計され、結果として65歳以上の高齢者の実に4人に1人が認知症とその予備軍であると考えられています。
認知症の多くはアルツハイマー型認知症(AD)です。最近ではADには遺伝的要素が絡んでいることや様々な生活習慣が発症の危険因子であることがわかりつつあるものの、未だにその病態は完全には解明されていません。
認知症の主な症状は記憶障害、見当識障害、学習障害など脳の認知機能障害です。そして病状が進行にともない、これに加えて感情の抑うつ、幻覚、妄想、睡眠障害といった心理症状や暴言、暴力、徘徊、さらにはトイレ以外で排泄するなどの不潔行為などの行動症状などがあらわれます。一般的に認知症では、認知障害を中核症状、前述した心理症状や行動症状を周辺症状と区別します。
認知症の認知障害である中核症状は、近年、いくつかの西洋薬が使われその病状の進行を遅らせることができるようになっています。
一方、認知症患者の行動・心理症状は、抗精神病薬など既存薬が使われていますが、それらの薬剤が有する副作用のため治療の継続が困難となることが多く安全性が高い良好な忍容性を有する薬剤が求められています。病状が進行して行動・心理症状があらわれはじめると、介護をする患者の家族や医療従事者などにかかる負担が大きくなり、俗にいう介護疲れなどで疲弊してしまうことは認知症の治療・介護をめぐる最大の社会問題の1つとも言われ、その改善が急務といわれています。
『抑肝散』は、「蒼朮(ソウジュツ)」、「茯苓(ブクリョウ)」、「川きゅう(センキュウ)」、「釣籐鈎(チョウトウコウ)」、「当帰(トウキ)」、「柴胡(サイコ)」、「甘草(カンゾウ)」の7種を構成生薬としており、中枢抑制作用や鎮静作用を有する生薬が多数含まれることから、従来から『抑肝散』は虚弱体質の人で神経が高ぶる神経症、不眠症、小児夜なき、小児疳症に使用されてきました。
最新の研究では、認知症患者の行動・心理症状の原因として、脳内神経伝達物質であるグルタミン酸、γアミノ酪酸(GABA)、セロトニンの伝達異常が関わっている可能性が指摘されています。『抑肝散』には神経保護作用があり、グルタミン酸取り込みを促進して神経細胞死を抑制し、さらにセロトニン神経系のシグナルを調節し、神経の異常興奮を鎮めることが明らかになっています。
今回、松田先生らは、国際的な科学的根拠、エビデンスを評価する標準手法に従いデータベースから2012年10月までの期間において、信頼性が高いと考えられる『抑肝散』と通常治療を比較した無作為化対照試験の論文4件と236例から得られた個々の患者データを基に、内容を厳しく吟味し統計学的な手法を用いてデータを統合し、総合的に評価するメタ解析(メタアナリシス)を行いました。
認知症の行動・心理症状に対する『抑肝散』の有効性は、国際的な評価基準である神経精神症状評価(NPI)、NPI 下位尺度(妄想、幻覚、興奮/攻撃性、うつ、不安、無感心、易刺激性/不安定性、多幸、脱抑制、異常行動)、日常生活動作(ADL)スコア、そしてあらゆる理由による治療中止率を指標として解析しました。
メタアナリシス結果により、『抑肝散』は認知症患者のBPSDの症状(妄想、幻覚、興奮/攻撃性)の治療と日常生活動作の改善に有益かつ良好な忍容性を有することが示唆されました。
副作用については『抑肝散』を投与された患者で低カリウム血症が2例と併用薬に起因する錐体外路症状を認められましたが、あらゆる理由により治療中止率は既存の通常治療とかわりませんでした。
漢方薬としてメタアナリシスは、松田先生らによる『抑肝散』に関するものが初めてであり、既に西洋薬などで確立された薬効評価に関する統計的手法で証明されたこの研究は最も信頼性が高い研究の1つであると言えます。『抑肝散』は認知症患者のBPSDの治療において質の高い根拠があり治療をおこなうことが推奨される薬剤と考えられます。
医学用語解説
- 〔システマティックレビュー〕
- 系統的レビューと訳されます。ある病気や治療法に関する臨床試験の論文を集め、その内容をまとめて評価することです。最近では、試験の実施計画や実施状況、解析方法など一定の条件を満たした試験の論文を集め、内容を厳しく吟味して、その結果を報告したものを指すのが一般的です。複数の試験のデータを統計学の手法を用いて統合して解析するメタ解析[メタアナリシス]もシステマティックレビューの1つです。
- 〔メタアナリシス(メタ解析)〕
- 病気や治療法など共通した研究データを集め、統計学的な手法を用いてデータを統合し、総合的に評価する方法です。過去の多数の研究結果から、一定の見解を導き出すために用いられます。メタアナリシスは、科学的根拠に基づいた医療において、最も質の高い根拠とされる。
- 〔ランダム化比較試験(ランダムかひかくしけん)〕
- 複数の治療法の効果を比べるときに、ランダム化と呼ばれる手法を用いて、グループ分けを行う試験のことです。グループ分けに研究者の主観が入り込まないため、得られた結果は信頼性が高いとされています。Randomized controlled trial、または無作為化比較試験とも呼ばれます。
- 〔忍容性〕
- 薬物によって生じる有害作用(副作用)が、被験者にとってどれだけ耐え得るかの程度を示したもの。薬物の服用によって、有害作用(副作用)が発生したとしても被験者が十分耐えられる程度であれば、「忍容性が高い(良い)薬物」となり、逆に耐えられない程のひどい有害作用が発生する場合は、「忍容性が低い薬物」となる。