【十全大補湯】進行性膵がん患者における免疫学的パラメーターの変化/論文の意義
西洋医学では対処法に乏しく困っている領域
治療法が限られている膵臓がんの病状進行を免疫強化の面から歯止めする-十全大補湯(じゅうぜんたいほとう)
日本人の死亡原因のトップとなっているがんでは一般に早期に発見されれば、手術による切除、それが難しい場合には抗がん剤などによる化学療法や放射線療法が行われます。この状況下の中で臓器別がんで最も治療が難しいと言われているのが膵臓がんです。
膵臓がんは特有の症状が少なく、早期の発見が難しいことが大きな原因です。しかも膵臓がんは進行が速いため、発見時に手術による切除を受けられる患者さんは非常に少なく、多くは塩酸ゲムシタビンと呼ばれる抗がん剤を軸とした化学療法が行われることになります。それでも生命予後は悪く、膵臓がんと診断された患者さんの5年生存率は概ね10%未満にすぎません。膵臓がんでは早期発見方法の確立とともに治療成績の改善が急務となっています。
ここで膵臓がんの治療成績改善のカギを握る要素の1つとして免疫機構が注目されています。その最大の理由はヒトの免疫機構にもがん細胞増殖を抑制する働きもあるからです。さらに進行の早い膵臓がんでは発見時に患者さんの身体機能が、がんの存在によって大幅に弱っていることが少なくなく、その影響で数限られた抗がん剤による化学療法ですら十分に行えないこともしばしばだからです。
こうした中で徳島大学医学部消化器・移植外科の池本哲也先生らは、漢方薬の『十全大補湯』が膵臓がん患者の免疫機構を強化し、生存期間を延長させる可能性があることを報告しました。池本先生らの報告は日本国内のがん治療専門医の多くが加盟する日本癌治療学会が発行する国際英字誌「International Journal of Clinical Oncology」に掲載されました。
背景:膵臓がんは進行が早く、手術で切除できない例も多く、その他の治療選択肢も非常に限られている
ヒトの免疫機構は、体内に侵入した異物を認識し、それを直接排除する働きと、対抗する抗体が作られ、抗体が異物を排除する仕組みがあります。このうち異物排除に関わるのがT細胞、抗体を作り出すのがB細胞と呼ばれるものです。
T細胞には何種類かあり、その1つにがん細胞などの排除を司る細胞障害性T細胞があります。細胞障害性T細胞は同じT細胞の1種であるヘルパーT細胞の指令を受けて、がん細胞の排除などを行います。一方で免疫機構が不必要に異物を認識しないように調節している制御性T細胞というものがあります。また、これらとは別に細胞障害性T細胞と同じようにヒトの体内でがん細胞やウイルスを排除するナチュラルキラー(NK)細胞があります。
近年、このうちの制御性T細胞と膵臓がんの関係に注目が集まり始めています。池本先生らは今回の研究以前に膵臓がんの患者では健康な人と比べて血中の制御性T細胞の数が多く、この数が多いほどがんが進行することを明らかにしています。つまり膵臓がん患者で制御性T細胞を減らすことができれば、がんの進行の抑制、ひいては生存期間を延長できる可能性があります。
『十全大補湯』は黄耆(オウギ)、人参(ニンジン)、桂皮(ケイヒ)、当帰(トウキ)、川きゅう(センキュウ)、芍薬(シャクヤク)、地黄(ジオウ) 、蒼朮(ソウジュツ)、茯苓(ブクリョウ)、甘草(カンゾウ)の生薬が含まれ、病後の体力低下、疲労倦怠、食欲不振、ねあせ、手足の冷え、貧血に処方される漢方薬です。がん患者での体力低下などにも用いられています。
池本先生らは、国際対がん連合(UICC)による悪性腫瘍病期分類で転移などがあり最も進行しているとされるステージIVA、あるいはIVBの進行性膵臓がん患者30例に対して『十全大補湯』を食前1回2.5gを1日3回、14日間投与しました。
その結果、投与前と比較して膵臓がん患者の制御性T細胞数は明らかに減少しました。また、前述のヘルパーT細胞はCD4、細胞障害性T細胞はCD8と呼ばれる糖タンパクが表面に存在しています。池本先生らの研究では『十全大補湯』を投与されたこれらの膵臓がん患者では投与前と比較してCD4/CD8比が高くなることが分かりました。このことは『十全大補湯』の投与で、がん細胞排除を命令するヘルパーT細胞が増加していることを示しています。
さらに既に説明したように細胞障害性T細胞と同じようにがん細胞排除の役割を果たすナチュラルキラー(NK)細胞の表面にはCD57と呼ばれる糖タンパクが存在しますが、『十全大補湯』の投与前後でこの数に変化はありませんでした。つまり『十全大補湯』はナチュラルキラー(NK)細胞の働きは弱めずに細胞障害性T細胞の活動を活発にする効果があると考えられます。
一方、池本先生らは抗がん剤で治療を受ける前の比較的進行したステージIIIの膵臓がん患者で、『十全大補湯』を事前に投与した患者と投与しなかった患者でその後に行った抗がん剤治療の回数と生存期間の比較も行っています。この結果では『十全大補湯』を投与した患者さんでは、『十全大補湯』を投与しなかった患者さんに比べ、より多い回数の抗がん剤療法を受けることができました。生存期間は『十全大補湯』を投与された患者さんの方がやや長くなったものの、現時点では医学的に明らかな差を認めるまでには至りませんでした。
しかし、『十全大補湯』を投与した患者さんでは膵臓がんに有効な抗がん剤治療をより多く受けられたのですから、今後より多くの症例で長期間検討することで明らかな差が出る可能性は否定できません。いずれにせよ現時点で決め手に欠く膵臓がんの治療で、『十全大補湯』が新たな可能性を切り開くかもしれません。