高齢者と漢方 vol.2
日本は現在、全人口の28.4%1)、およそ3人に1人が65歳以上という超高齢社会を迎えています。高齢化率は今後も上昇を続けると予測されており、2065年には約40%にもなると見られています2)。こうした背景をふまえ、筑波大学附属病院臨床教授で野木病院副院長の加藤士郎先生は、「元気な長寿を目指すには、漢方薬が必要」と話します。その理由についてお伺いしました。
漢方薬の約60%は高齢者に使われている
日本国内の漢方薬の使用量は、男女ともに65歳を過ぎると増加し、70歳代でピークとなります。80歳を超えても多く使用されていて、全体の60%以上が高齢者の方に使われています3)。高齢者に使う漢方薬の多くは、呼吸器疾患、消化器疾患、精神神経疾患、整形外科疾患に関する処方です。2015年に日本老年医学学会が発行した「高齢者の安全な薬物療法ガイドライン」の中では、「高齢者に有用性が示唆されるわが国の医療用漢方製剤」として、抑肝散(よくかんさん)、半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)、大建中湯(だいけんちゅうとう)、補中益気湯(ほちゅうえっきとう)、麻子仁丸(ましにんがん)の5つが大きく取り上げられました4)。抑肝散は、認知症の周辺症状の中でも、怒りやすい、興奮、不安、焦燥などの症状を緩和します。また、半夏厚朴湯、補中益気湯は呼吸器疾患に、大建中湯、麻子仁丸は消化器疾患に関わるものです(表1)。
抑肝散 | 認知症(アルツハイマー型、レビー小体型、脳血管性)に伴う行動・心理症状のうち、陽性症状(興奮、妄想、幻覚など)を有し、非薬物療法および認知症治療薬(コリンエステラーゼ阻害薬、メマンチン:適応のある病態のみ)による効果が不十分な場合に使用を考慮する。本方剤が無効な場合あるいは緊急な対応を要する例では、リスクと必要性を勘案のうえ、抗精神病薬の使用を考慮する |
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半夏厚朴湯 | 脳卒中患者、パーキンソン病患者において嚥下反射、咳反射が低下し、誤嚥性肺炎の既往があるか、そのおそれのある場合 |
大建中湯 | 1.腹部術後早期の腸管蠕動不良がある場合 2.脳卒中患者で慢性便秘を呈する場合 |
補中益気湯 | 慢性閉塞性肺疾患など、慢性あるいは再発性炎症性疾患患者における炎症指標および栄養状態が改善しない場合 |
麻子仁丸 | 慢性便秘、排便困難全般 |
日本老年医学会編:高齢者の安全な薬物療法ガイドライン2015, 東京, メジカルビュー社, 2015 より作成
気血水のバランスを回復させ、数年前の体力に
高齢者は「気・血・水(きけつすい)」のバランスが低下していることが多くあります。「気・血・水」とは漢方医学で使われる概念で、「気」は元気の気、病は気からというように、頭部、中枢神経、脳の働きのことをいいます。「血」は血液とほぼ同義、「水」は血液以外、リンパ液などの体液、ホルモンなどの免疫系統などのことをいいます。
高齢者の低下した体力や食欲、免疫力を改善することで、元気を取り戻すために使うのが「補剤」です。名前のとおり、弱った部分を補うためのもので、補中益気湯のほかにも十全大補湯(じゅうぜんたいほとう)や人参養栄湯(にんじんようえいとう)、八味地黄丸(はちみじおうがん)、牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)、六君子湯(りっくんしとう)などがそれにあたります。
また、水分代謝や血液循環を回復させる漢方薬なども多く用いられます。水分代謝を促す利水剤には、五苓散(ごれいさん)や当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)、苓桂朮甘湯(りょうけいじゅつかんとう)など、微小循環を改善する駆瘀血剤には桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)があります。気血水のバランスを回復させることで、トータルな抗老化作用が発揮されて、元気だった数年前の体力に回復できると考えられています。
風邪やインフルエンザの予防に漢方薬
お薬は基本的に「症状が出たら服用するもの」ですが、漢方医学で高齢者を診る場合、予防のために服用してもらうことも多くあります。例えば、風邪やインフルエンザの場合、高齢者は体力や免疫力が落ちているので、「たかが風邪」と思っていても、肺炎になるなど重症化してしまうケースもあります。特に75歳以上の高齢者の方にとって、かぜは肺炎を引き起こし、日常生活動作(ADL)の低下や死亡に至る大きな原因となります。私たちが行った高齢者のかぜ症候群に対する漢方薬の予防効果の研究でも、補中益気湯などの補剤を投与した群は、かぜ罹患回数が有意に低下(図1、p<0.01、ANOVA解析)、インフルエンザ、市中肺炎に対しても、漢方薬に予防効果があることがわかりました (図2、3)5,6)。
健康寿命を伸ばすために漢方薬の活用を
高齢者の治療は、医療と介護が一体化することが多く、医療、介護、リハビリなどチームによる治療が必要となります。入院中だけでなく、在宅に復帰してからも、家族や周囲の理解が必要になるため、街全体がひとつのチームとして医療や介護をすることが重要です。漢方薬は、症状に対して処方するのではなく、一人ひとりの身体を診て処方するものです。患者さん側にとっても、お薬の数を減らせたり、いくつもの診療科にかからなくてもいいなどのメリットがあると前回お話しましたが、医療者側にとっても漢方薬は、患者さんを全体で捉えることのできる大変優れたツールです。医療者側も漢方薬への理解が進んでいますので、ご家族などから積極的に「漢方を飲ませてみたい」などと伝えてみるといいのではないかと思います。
現在、平均寿命と日常生活に制限のない健康寿命との間には男性で約9年、女性で約12年もの差があります。この期間は寝たきりなど、不健康である期間を指します。今の日本には100歳を超える方が7万人超いらっしゃいます。しかし、105歳となると約8500人となり、多くの方が105歳までに亡くなっています。厚生労働省によると、2050年には50万人を超えるという予測もありますから、今後は105歳を超えることが長寿のテーマになってきます。漢方薬というツールを味方に、健康寿命を伸ばし、元気で長生きを目指していきましょう。
- 参考
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- 総務省:統計トピックスNo.121(2019年9月15日)
- 内閣府:平成30年度高齢社会白書(全体版) 第1章 高齢化の現状
- 北島政樹監修:Kampo Science Visual Review漢方の科学化.ライフ・サイエンス,東京,2017.
- 日本老年医学会編:高齢者の安全な薬物療法ガイドライン2015, 東京, メジカルビュー社, 2015
- 加藤士郎ほか:漢方医学2015:39:183-186
- 加藤士郎ほか:漢方医学2016:40:49-52
野木病院副院長/筑波大学附属病院臨床教授
1982年獨協医科大学卒業。2009年野木病院副院長、筑波大学非常勤講師。同年、筑波大学付属病院総合診療科に漢方外来開設。2010年から筑波大学付属病院臨床教授。