第1回 漢方との出会い~96歳の姉を看取った93歳の妹、松谷天星丸先生から学ぶ~
(写真左から、加藤士郎先生、松谷天星丸先生、岡村麻子先生)
松谷天星丸先生(医学博士。元・藤田保健衛生大学医学部 教授/元・川村学園女子大学 教授)
加藤士郎先生(筑波大学附属病院 臨床教授/野木病院 副院長)
岡村麻子先生(つくばセントラル病院 産婦人科 部長/東邦大学薬学部 客員講師)
戦後、婦人参政権が認められて初めての選挙で国会議員となり、政治家の道に進んだ長女(天光光)と、医学へ進み、脳神経科学などの研究の道に進んだ次女(天星丸)がそれぞれのキャリアを経て80代を超え、ひとつ屋根の下でお互いを支え合いながら暮らしていく様子が描かれています。90代の妹が90代の姉を介護し、看取ることはこれからの時代は珍しいことではないのかもしれません。著書の中で天星丸先生は「さぞかし、歯を食いしばって、苦しんで、身を削ってのことでしょうと、思われるかもしれませんが、案外そうでもないんですよ」「私は特別なことをしたという自覚はありません」と述べられ、「楽しかった」という姉との生活を記されています。著書の最後にまとめられた「老老介護十得」は、とても参考になる心得です。興味のある方はぜひお手にとって一読されてみてください。
松谷天星丸(まつたに・てんほしまる)先生は2015年に『96歳の姉が、93歳の妹に看取られ大往生』(幻冬舎)と題した老々介護の実体験を著した書籍を上梓されています。その著書には、日本で初めて女性代議士となられた姉(園田天光光 そのだ・てんこうこう)と松谷先生との二人三脚の介護の日々が綴られています。松谷先生の貴重な体験は、これまで経験したことのない超高齢社会を迎える日本の医療・介護にとって重要なヒントになることでしょう。
また、2016年に松谷先生が体調を崩された際には、加藤士郎先生の漢方診療を受けとても元気になられました。そのことをきっかけに松谷先生は、これまでほとんど接点のなかった漢方を学ぼうとされていらっしゃるほどの情熱をお持ちです。
97歳になられた現在(取材日2019年10月19日)でも、とてもお元気な松谷天星丸先生をお迎えして、今回の記事を発起された岡村麻子先生、実際に診療された加藤士郎先生とともに、現在の高齢者医療の課題や漢方の役割について、お話しいただきました。
漢方薬をもらいに行ったら手術の話をされた
岡村:天星丸先生、加藤先生、本日はありがとうございます。私の人生の、そして東邦大学の大先輩でもいらっしゃる天星丸先生と、私の漢方の師匠である加藤先生とでお話しいただくことで、今の日本の抱える高齢社会と医療の問題について、アドバイスをいただき、日本中が元気になってくれればよいなという想いで企図させていただきました。
2016年に、天星丸先生から、体に痛みが出て動けなくなり、「漢方薬はよいのかしら」とご相談をいただきました。私は若輩者ですので、私の東洋医学の師匠である加藤先生に診てもらうとよいと考えまして、天星丸先生を加藤先生の外来にご紹介したということがきっかけでしたでしょうか。
松谷:実は当時、頸椎症※1(頸椎症性神経根症※2とその後に腰部脊柱管狭窄症※3を合併)で困っていたのですが、親族の知人が漢方薬を飲んでいて「大変よく効く漢方があるから、おばちゃんこれを飲んだらどう?」と姪に言われたんです。その漢方薬はしばらく戸棚にしまってあったのですが、その漢方薬のことを岡村先生にお伺いしたく連絡したのがきっかけでした。
岡村:その漢方薬をお聞きしたときも、おそらく有効だろうとは考えたのですが、先生の体の具合や、状態が分からないまま、お電話だけで飲んでいただくのは、問題があるかもしれないと思い、加藤先生を紹介させていただきました。
松谷:はい。それで、加藤先生のところにご紹介いただいたのが、2016年でした。3年近く経ちますね。
加藤:そうですね。
松谷:加藤先生のところに伺ったときに、一番感動いたしましたことは、加藤先生が私の病状を聞いてですね「手術ができますか」とおっしゃったんです。オペのことは私も念頭にございませんでした。当時、かかっていた施設では手術施行が可能な状態かどうかまでは調べておりませんでした。加藤先生がとても熱心にお聞きになりまして、それをちゃんと調べなさいというお言葉がございました。漢方の先生のところに伺ったところ、手術の話をされたわけです。それで私は、非常に感動いたしました。
岡村:漢方の医師に手術のことを指摘されたんですね。
松谷:それから、加藤先生から何度もおたずねがございまして、他施設にセカンドオピニオンとして診ていただき、手術ができないという結論が出ました。そのことを加藤先生に申し上げましたら、先生が納得してくださいまして、ようやく漢方の薬をくださいました。
加藤:先生のような大家の前でいうのも恐縮ですが、頸椎症があって、体調がよくないといっても、単に漢方薬を処方するだけではなく、よく調べないといけないと考えました。確かに高齢者に頸椎症は多いですが、頸椎症にもさまざまなパターンがあり治療法が異なります。治療にあたっては、まず西洋医学的にきちんと診なければいけないということが、私の一番の考え方です。
松谷:それで私は大変感動しておりました。
加藤:よかったです。それと、診察では身体的に脈や舌などを、いろいろと診たのですが、特徴的だったのは天星丸先生のご意思がとてもはっきりされていたことです。これはとても大事なことで、年齢を重ねていくと、どうしても判断力が落ちていきます。漢方でいう腎虚(じんきょ)という状態になります。腎虚とは生きていくための生命力(腎)が少なくなる(虚)という概念です。高齢になるにつれて腎虚になり、目が見えなくなる、耳が聞こえなくなる、味を感じなくなるなどの五感の低下もさることながら、判断力の低下というのは結構大きな問題になります。若い方でも同じですが、治療後どうしたいかということを言わない人は多いのです。天星丸先生はご意思がはっきりされていたことがとても印象的でした。そして当時94歳という年齢にも関わらず、脈や舌、お腹から診た体調は、元気そのものでした。そこで、西洋医学的診断をした上であれば、手術可否について検討してもよいのではないかと考えたのです。
当帰芍薬散を服用、体が軽くなり痛みに勝てる元気が出てきた
岡村:天星丸先生の意思の強さは、本当にプロフェッショナルですね。これまで、天星丸先生は医師として西洋医学の基礎研究をされてきて、臨床でも患者さんに真剣に相対してこられました。そしてご自身の体に対しても同じです。そういったところが加藤先生のおっしゃる意思の強さにつながっているのではないでしょうか。心から尊敬いたします。加藤先生の治療のあと、少しずつ歩けるようになってこられたんですよね。お会いしたときに、私に「麻子さん、私は東洋医学を勉強したいけど、よいご本はありませんか」ということをおっしゃられてですね、これから勉強されるという姿勢にとても感銘いたしました。この先生の前向きなご姿勢が今日の日の座談会につながったと思っております。
松谷:岡村先生は私のことを買いかぶってくださっていると思います。とても、お言葉がよすぎますね(笑)。私が加藤先生からいただいた漢方薬は当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)でしたでしょうか。
加藤:そうです。最後は当帰芍薬散で落ち着いたのですが、最初に来られたときは、瘀血(おけつ)といって、体の血の巡りが滞った状態でした。まだ頸椎症がはっきり診断されていませんでしたが、まずは瘀血に対して漢方薬を出しました。朝1回1包で処方いたしました。実はそのときに、桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)を用いました。これは漢方でいえば、体力がある人に使うお薬です。それで、岡村先生から「え、桂枝茯苓丸を処方したんですか?」と、ちょっと驚かれました。
松谷:最初は桂枝茯苓丸でしたね。
加藤:先ほど天星丸先生がおっしゃったように、西洋医学的な処置は難しいという話を伺いました。同時に、桂枝茯苓丸を処方した後に、だんだん動けるようになってきたという話も伺っていて、家の中を歩いてなんとか生活していますと。
岡村:そうなんですね。
加藤:それなりに動けているということを伺いました。2回目に診たときは、瘀血の状態が改善されていました。おそらく、動き出したことによって血の巡りがよくなって、瘀血という循環の悪い状態が消えたんだと思います。身体的所見もそうでした。そこで、当帰芍薬散に変更しました。天星丸先生は当帰芍薬散証といって、いわゆる日本の色白美人によく用いる処方です。
松谷:当帰芍薬散をいただいて1週間ぐらい経ったときに、体がとても軽くなって元気が出てきたので、驚きました。痛みに勝てるような体力がついて歩行困難が軽減しました。本当によく効きました。劇的でした。
体調不良で困っている方がいれば、いまだにその時のことを説明します。すると、そんなに効くものがあるということを聞くだけでも安心するから、帰宅して痛みで困っている家人に話してみるとおっしゃっていました。また、姪から「腰が痛い」と聞きますと、「漢方はいいわよ」なんて勧めておりました。
日本の100歳以上の人口は7万人超、30年後には50万人という予測も
加藤:私は現在、高齢者を多く診させていただく立場になっています。今の日本には100歳を超える方が7万人超いらっしゃいます。厚生労働省によると、2050年には50万人を超えるという予測もあります。
私の母の話をいたしますと、母は2005年に89歳で亡くなりまして、当時としても長生きのほうでした。母は2001年に転倒して大腿骨骨折し、また軽い脳梗塞もありました。その後に、認知症のような様子がみえてきたのです。
当時は介護保険制度がスタートしたばかりで、認知症自体はまだ一般的には知られていませんでした。私の兄嫁と兄で介護をしていたのですが、どうしてよいかよくわからないという話になって困っていました。認知症気味になった母のケアにかなり苦労していました。兄嫁もうつのような状態になってしまいました。
当時の私は獨協医科大学(栃木県)におり、いずれ母と兄夫婦のいる東京に戻ろうと思っておりましたが、獨協医科大学では創立して間もない頃から特別養護老人ホーム、更にはグループホーム等の高齢者の住居施設を作っており、そこで母を引き受けることにしました。3年ほど母を看て、自分で母を看取りました。そのときに、介護の大変さを実感し、これからの日本では介護しなければならない高齢者が増え、社会問題になると感じました。
その頃、たまたま医療法人社団友志会野木病院の理事長と知り合ってリハビリを兼ねた老人保健施設を作るからと誘われました。母の介護をみて、やはり高齢者の介護を体験したほうがよいのではないかと考え、お手伝いすることにしました。
もちろん漢方診療はその前から行っていましたので、やはり高齢者にも漢方は合うと実感いたしました。同時に、リハビリの施設が少なく、高齢者の足腰が弱っていくことのサポートが課題になると感じました。
天星丸先生を診させていただいて、お若いと思ったのは、これらの経験があったからです。何が若いかというと、繰り返しになりますが意思がはっきりされていることです。漢方医学でいうと「気」の力があるということです。漢方医学には「気血水」(きけつすい)という概念があり、「気」というのは元気の気などと説明されまして、病は気からともいいます。「気」をごく簡単に例えると、頭部、中枢神経、脳の働きです。脳がしっかりしている方は、自律神経などもしっかりしていて、「血」(血液とほぼ同義)も、「水」(体液、ホルモンなどの免疫系統も含む)もよく巡っています。ですから、天星丸先生は治ると感じており、本来であれば体力のある実証(じっしょう)向けで、瘀血を改善する(血流をよくする)桂枝茯苓丸を出させていただきました。
岡村:天星丸先生は、気持ちが前向きで、今日より明日というように生きておられます。先日、ご自宅にお邪魔した際も、家の中をリハビリという感じで動かれていらっしゃいました。天星丸先生の歩幅にあわせて階段が作られていて、寝室に行くのも階段を上らなければなりません。「もらったお薬を飲んだら台所まで歩けるようになって、(炊事も)できるのよ」とおっしゃってお茶を淹れていただきました。
加藤:大変素晴らしい話ですね。例えば「要介護3」といっても一般にはイメージがわかないと思うのですが、簡単にいうと、食事、排泄、入浴という人間の基本動作の3つに、人手を借りなくてはならなくなると要介護3に該当します。要介護3の段階ではリハビリが有効なことが多いのです。要介護4になるとだいたい車椅子が必要になってきます。つまり、要介護3の方は、介護者1人でなんとか生活できます。要介護4では介護者2人が必要になります。いま介護者は不足していますから、可能ならば要介護4の手前でリハビリしてなんとか戻さなくてはならないのです。
山口県にある「夢のみずうみ村」という通所リハビリテーションでは、趣味のクラブを200くらい作っています。ところが、その施設に通うには高齢者にとっては段差や坂があるなど険しい道があります。その険しい道を1年通うと、要介護4が3になったり、要介護3が2になったりします。趣味のクラブがつまらなければ通う気も起こりませんよね。やはり、興味をもった面白いと思えることに対して自分の意思で通わなければならないんです。リハビリにもご本人の意思があることが基本だと思います。
(本記事は医療関係者向けサイト漢方スクエアに掲載された記事を元に、一般読者向けに再編集しております)
医学博士。元・藤田保健衛生大学医学部 教授、元・川村学園女子大学 教授
経歴:大正11(1922)年生まれ。医学博士。昭和31(1956)年東邦大学医学部卒業。実地修練後、東邦大学医学部助手として内科学を専攻(故阿部達夫教授、故里吉栄二郎教授に師事)。臨床に従事、その後基礎医学(生理学)に移籍、恩師故塚田裕三教授に師事。神経科学を専攻。昭和49(1974)年藤田保健衛生大学医学部教授、同大学院医学研究科委員会委員、東邦大学医学部客員教授、定年後、川村学園女子大学教授を歴任。
他に、青山学院女子短期大学、早稲田大学文学部などで非常勤講師を務める。
『現代精神医学体系ⅡB』(中山書店)、『神経の変性と再生』(医学書院)、その他数編を分担執筆。近著に松谷天星丸第一歌集『満天の星』(角川書店)、『96歳の姉が、93歳の妹に看取られ大往生』(幻冬舎)。
(以上、2020年1月現在)
筑波大学附属病院 臨床教授、野木病院 副院長
経歴:昭和57(1982)年獨協医科大学を卒業、同大学第一内科(現心臓・血管内科)に入局。昭和59(1984)年同大第一内科大学院に入学。昭和63(1988)年同大第一内科大学院卒業、医学博士取得、第一内科助手。平成7(1995)年同第一内科(現心臓・血管)講師。平成16(2004)年宇都宮東病院副院長兼任。平成21(2009)年野木病院副院長、筑波大学非常勤講師、筑波大学附属病院総合診療科に漢方外来開設。平成22(2010)年筑波大学附属病院臨床教授。筑波大学附属病院で漢方外来とともに学生・レジデントを中心に漢方の教育活動を行っている。
編著書に『高齢者プライマリケア 漢方薬ガイド』(中山書店)、『臨床力をアップする漢方 西洋医学と東洋医学のW専門医が指南!』(中山書店)、『プライマリ・ケアのための高齢者疾患と初めに覚えたい、この処方』(ライフ・サイエンス)、『地域包括ケアシステムにおける漢方』(ライフ・サイエンス)。
日本内科学会認定医。日本呼吸器学会専門医・指導医。日本東洋医学会専門医・指導医。日本老年医学会専門医・指導医。日本循環器学会会員。日本プライマリ・ケア連合学会会員。日本臨床生理学会評議員。日本脈管学会評議員。ATS(米国呼吸器学会)会員。ACCP(米国胸部疾患学会)会員。
(以上、2020年1月現在)
つくばセントラル病院 産婦人科 部長、東邦大学薬学部 客員講師
経歴:茨城県出身。東邦大学薬学部卒後、日立化成茨城研究所に勤務。島根大学医学部卒後、東京大学医学部産婦人科学教室入局。日赤医療センター、焼津市立総合病院、茨城日立総合病院、東京北医療センター、東京ベイ浦安市川医療センター、北京中医薬大学研修などを経て、2014年から現職。女性の本来持つ力を活かして健康につなげるために、西洋医学に東洋医学を融合させる東西結合医療を目指している。
『臨床力をアップする漢方 西洋医学と東洋医学のW専門医が指南!』(中山書店)、『エビデンスをもとに答える妊産婦・授乳婦の疑問92』(南江堂)その他数編を分担執筆
日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本東洋医学会 漢方専門医・指導医。日本女性医学学会 専門医・指導医
(以上、2020年1月現在)
96歳の姉を看取った93歳の妹、松谷天星丸先生から学ぶ