【連載】秋に感じる日中の眠気に効果的? 東洋医学が伝える睡眠の工夫とは│漢方医学の知恵で心と体が整う養生カレンダー
東洋医学での適切な起床時間の考え方
秋や春など、季節の変わり目に、日中の眠気を強く感じる人もいるのではないでしょうか。
世間には、「朝活動したほうが日中集中できる」という人がいる一方で、「いや、朝型夜型はそう簡単に変えられない」など、さまざまな意見があるようです。今回は睡眠、特に起床時間について、東洋医学の観点から考えてみたいと思います。
漢方における三大古典(中国・漢代)のひとつ、『黄帝内経』(こうていだいけい)の「四気調神大論(しきちょうしんたいろん)篇」には、四季の養生についての記載があります。それによると、
- 春は少し夜更かしをしても良いが、朝は少し早起きをする。
- 夏は少し遅く寝て、朝は少し早起きをする。
- 秋は鶏と同じように早寝早起きすべきである。
- 冬は少し早く寝て、朝はゆっくりと起きる。
とあります。つまり、「季節ごとに起床時間を変えること」を説いているわけです。一方で「現代のライフスタイルも鑑みたうえでの適切な起床時間とは」は、日々の診療で形を変えて実によく聞かれる質問です。
勘案すべきポイントは、『私たちの体の仕様(そもそもの特性)』と現代における『私たちが希望する生活』のギャップということになると思います。
冬は日照時間が短く、夏は日照時間が長いですね。四季調神大論篇に書いてあることは、ひと言で言えば、年間を通じて「お日様の出ている時間に活動しましょう」ということです。私たちの『体の仕様』は、電気がなかった時代の、明るいうちに活動していた生活がベースになっています。そのことを考えると、現代の『希望する生活』が、そのベースからずれていっているといえるでしょう。
東洋医学での健康=陰と陽のバランスがとれている状態
東洋医学の基本となる陰陽論では、万物は相対する陰と陽に分けられると考えます。陰は月であり静、陽は太陽であり動です。夜に静かに寝ることで陰のエネルギーを補い、昼間にお日様の光を一身に受けてしっかり体を動かすことで陽のエネルギーを養うと考えます。陰と陽は補い合う関係にあり、このバランスが重要です。また、陽はパワー(元気)、陰は湿潤(潤い)ですので、夜更かしと朝寝坊を繰り返すと、必要な陰の潤いが失われ、かつ、陽の元気が補充されないため、体は乾燥して気力は低下します。肌は潤いを失い、頭皮は乾いて髪が細くなり抜け落ち、さらに東洋医学的概念でいう虚熱という炎症が起きやすい状態となり、アレルギー症状が悪化すると考えられます。虚熱の詳しい説明はここでは省きますが、虚熱は疲れやすさ、不眠、頭痛、不安定な心を引き起こす原因にもなります。だから、夜は寝た方が良い、というわけです。陰の潤いを薬やサプリメントで完全に補うことは、残念ながらできません。虚熱によって心は妙にハイテンションになり、この刺激的な生活を続けたい!と希望しますが、一方で体は追いついていかずどんどん傷んでいきます。
四季を通じて、変化する日照時間。自然はそれに合わせて活動するが、人間の活動時間は年間を通じてほぼ一定なので、ズレが生じる。夏は朝のズレが大きく、冬は夜のズレが大きい。日照時間は夏至と冬至で5時間ほどの差がある。
自然側(体側)に合わせるならば、本来なら季節によって活動時間を変えなければならないといえるでしょう。夏の昼間はゆっくりと時間が流れ、たっぷり昼間を楽しめるけれども、冬の昼間はあっという間に過ぎていき、日が暮れてしまいます。体側に合わせるなら、冬には午後2時には夕方の日差しに変わり始め、16時を過ぎたら日が落ちますから、それに合わせて早めに仕事を切り上げ家に帰って寝る、ということになります。それを現代社会においてはわれわれ人間側の都合で等間隔に時間を刻んで固定しているわけです。日が落ちても煌々と電灯の光で街を照らしているので、そもそもの暮らしかたが陰陽のバランスがとれている状態からずれてしまっているといえます。私たちがどんなにあがいても体は自然の一部として存在しているという事実は変えられませんから、自然のルールを逸脱する場合、どのぐらいの逸脱まで自然、つまり自分の体が許してくれるかを探りながら生活するのが大事で、羽目を外して夜更かしをする際は、その代償が体に返ってくることを重々承知して羽目を外しましょう、ということになります。大人であれば遅くまでお酒を飲んで過ごして、翌日の睡眠不足や二日酔いに悩まされた経験をお持ちの人は多いでしょう。酔い潰れた経験をしたあと、自分はどの程度までなら大丈夫かを理解するようになるものです。それと同様です。
『体の仕様』と『希望する生き方』のギャップを意識する
さて、大きく自然を眺めてみれば、山の木を切り、道をつくって舗装し便利に使えるようにした。しかしその結果、その周りの木の植生(ある地域に集まって生育している植物の集団)が変わり、道路を挟んで木が立ち枯れていく。根が死んで土を掴まなくなった結果、山が崩れていく。山が崩れた結果、川に土砂が流れ込んで下流に土石流の危険が高まる。防災のため、砂防ダムを設けたところ、砂防ダムの上流に砂が蓄積し、細かい砂は水を通さないため、砂の下の地中に伸びた根は水を得られず、また木が枯れる、というようなことが日本の自然界で起きています。まさに自然の『仕様』と、人間の生活のための『希望』のギャップが生んだ代償です。
私は、私たちの体も自然界と比べたら規模が小さいけれどもやはりシステムで、かつ、自然のシステムの一部として存在していると考えています。これは良し悪しの話ではなく、立ち位置を変えれば見え方が違うということです。起床時間も同様です。ゆえに、もともと夜型に対応するシステムにはなっていない『体の仕様』と『希望する生き方』を念頭に置いて自分なりに生活を見直してみる、ときにはそのギャップの代償を体で感じつつ、それぞれの折り合いをつけて生活してみるのがよいと思います。
泉州統合クリニック 院長