後編:漢方による女性不妊へのアプローチと治療継続の目安
不妊症の治療では、西洋医学的なアプローチはさることながら、漢方によるアプローチも行われています。不妊症に関する漢方治療の実際について、北里大学東洋医学総合研究所の森裕紀子先生にお話を伺いました。男性不妊を中心に取り上げた前編に引き続き、後編では女性不妊に関する漢方治療や漢方治療にあたっての注意点を紹介します。(村上和巳)
女性不妊に対する漢方薬でのアプローチ範囲とは
―不妊症の6つの原因(表1)のうち、①夫婦生活の面で女性側の因子が原因ということはありますか?
例えば女性側が、生理痛がひどく、そこから慢性的な腹痛や腰痛に至った影響で夫婦生活が営みづらくて妊娠に至らなかったケースがあります。この患者さんは診察の結果、体内の水のバランスが崩れた水毒に加え、血虚、瘀血があると診断して当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)を処方しました。その結果、腰痛などが緩和されたことで夫婦生活が復活して自然妊娠に至りました。
当帰芍薬散は血を補う当帰、血の巡りをよくする川きゅう、芍薬(しゃくやく)、水の巡りをよくする茯苓(ぶくりょう)、白朮(びゃくじゅつ)、沢瀉(たくしゃ)という生薬で構成され、血虚と水毒に対してよく用いる処方です。古典書『金匱要略(きんきようりゃく)』では妊娠に関係する婦人の腹痛に使う薬と記載され、妊娠中の母体や胎児に好影響を与える安胎薬として妊娠中も安心して使える薬です。
この当帰芍薬散に加え、桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)、加味逍遙散(かみしょうようさん)の3種類が婦人科領域でよく使われる通称・婦人科三大処方と呼ばれる漢方薬です。不妊治療を目的としている女性では、こうした漢方薬などで常日頃悩んでいる症状を改善させることで自然妊娠に至るケースは少なくないと考えています。
―桂枝茯苓丸や加味逍遙散はどのような症状に処方されるのでしょうか?
桂枝茯苓丸は子宮内膜症や子宮筋腫などによく使われますが、漢方ではこれらの状態を瘀血と見なします。桂枝茯苓丸は気の循環異常である「気逆」に対して気を降ろして改善する作用のある生薬の桂枝、水の巡りをよくする生薬の茯苓、血の巡りをよくする桃仁(とうじん)、牡丹皮、芍薬という生薬が含まれ、当帰芍薬散に比べると水の巡りを改善する生薬の種類が少ない反面、血の巡りをよくする生薬は数多く含まれています。
なお『金匱要略』では桂枝茯苓丸の適応について「其の癥(ちょう)を下すべし」と記述されています。「癥」とは、以前からお腹の中にあるよくない塊というものを意味しています。その点からまさに子宮筋腫などは癥ともいえるわけです。
また、桂枝茯苓丸は別名で催生湯(さいせいとう)といわれます。例えば予定日を過ぎても出産に至らない妊婦に処方し、子宮を収縮させて出産を促す、文字通り生まれることを催す使い方もあります。また、出産や流産のあとに、胎盤や絨毛の一部が子宮内に残存している状態に処方することもあります。
そのため妊娠判明後は基本的に服用を中止すべき薬です。妊娠検査薬は受精から2週間で陽性になるため、妊娠反応が確認された段階で服用中止すればよいでしょう。
加味逍遙散は当帰芍薬散、桂枝茯苓丸と比べ、柴胡、生姜(しょうきょう)、薄荷(はっか)、甘草(かんぞう)という気に関する生薬が多く含まれ、血に対する生薬の当帰、芍薬、山梔子(さんしし)、牡丹皮、水に対する茯苓、蒼朮(そうじゅつ)という生薬も入っており、女性の多様な不定愁訴によく処方します。
―③卵管の状態、④排卵の状態に対して漢方薬が使用できる場合はありますか?
卵管閉塞の場合、片側の卵管閉塞であれば自然妊娠の可能性はあるものの、両側の卵管閉塞では自然妊娠の可能性はありませんし、漢方薬で閉塞した卵管の治療はできないので、西洋医学での体外受精の適応になります。
排卵については、ストレスや体調不良で抑制されることはよくあります。漢方治療ではまず体調で困っている症状がないかを確認し、治療します。また腎虚によるものと考え八味丸や六味丸を用いることは多いです。
不妊治療ではまず月経時にホルモン検査をします。もしPRL(プロラクチン)というホルモンが高い場合は、西洋医学的治療を行います。このホルモンは脳下垂体から分泌され、乳腺を刺激して母乳の分泌を促進する乳汁分泌ホルモンですが、値が高いと排卵を抑制することがあります。西洋医学的治療で、短期間に効果がみられ副作用も少ないので、漢方治療の適応ではないと考えます。
FSH(卵巣刺激ホルモン)が高い場合は、卵巣機能そのものの低下を考え、排卵誘発剤を使用します。このとき漢方治療を併用することで、排卵誘発剤の反応がよくなることは、よく経験します。
LH(黄体刺激ホルモン)が高い、エコーで小さい卵胞がたくさん認める場合はPCOS(多嚢胞性卵巣症候群)を考えます。
多嚢胞性卵巣で肥満がある場合、少し体重が減少するだけで自然に排卵することがあるので、まずダイエットを勧めます。漢方治療でも体重減少に役立つものがあります。桂枝茯苓丸や防己黄耆湯などを使います。
多嚢胞性卵巣に対する漢方治療に関しては桂枝茯苓丸、温経湯(うんけいとう) が有効との文献報告は多く見かけます。実際、こうした症例を診察すると、この2つの漢方薬の適応となる証(しょう)を示す患者さんは多いと感じています(表2)。
―生殖補助医療(ART)における受精卵が育たない事例に関して、漢方での対応方法があれば教えてください。
受精卵が育たない原因は、様々考えられます。西洋医学では受精卵を育てるための培養液の改善、排卵誘発方法の変更、手技の開発などの進歩が認められます。それ以外で受精卵が育たない原因として多いのが、受精卵の染色体異常です。受精卵(胚)を移植する前に染色体異常の有無をチェックして大きな異常がないと考えられるものを子宮に戻す着床前診断なども一部導入され始めています。
漢方治療について、私自身は基本的には証を判断し、症状や所見がなければ腎虚と考えて処方を行います。女性の卵子の染色体異常は年齢が上がるにつれて頻度が高くなることは周知ですが、例えば高齢妊娠に関して、平均40歳のARTを受けている女性に腎虚を改善する漢方薬、別名補腎薬と呼ばれる八味丸(はちみがん)を処方し、無事妊娠に至ったケースでは処方前後で発育卵胞数、回収卵子数、受精卵数などが有意な増加傾向を認めたとの報告もあります1)。このように補腎薬に反応して妊娠する人もいれば、そうでない人もいます。いずれにせよ体調を整えることで西洋医学のARTに反応することはあります。
ただ、受精卵の染色体異常にまで漢方薬が有効性を発揮するかはかなり疑問があります。不妊に対する漢方治療にあたっては、こうした見解はあらかじめ患者さんにもお伝えしています。
―次に受精卵が着床しない場合の対応についてはいかがでしょう?
受精卵以外の原因についてお話します。受精卵が子宮に着床しない場合、西洋医学では子宮内膜が薄いことが原因と思われる場合はホルモン剤の処方や人工授精、子宮内膜炎の場合は抗菌薬が処方されます。
漢方治療では、繰り返しになりますが、まず冷え症など体調不良なところがあれば改善することが一番大切と考えます。その他に子宮内膜が薄いという場合に血を補うという観点で温経湯など当帰を含む処方を使用することが多いです。何らかの症状が認められない場合は補腎薬の六味丸、八味丸などを処方する以外にはなかなか手がないのが現状です。
温経湯は当帰芍薬散や桂枝茯苓丸、加味逍遙散と類似した生薬で構成され、なおかつ体を温める呉茱萸(ごしゅゆ)、血を補う阿膠(あきょう)、元気をつける人参などが含まれた処方です。『金匱要略』では温経湯について「婦人年五十ばかり…」の記述があり、高齢の女性に用いることが多い漢方薬です。
―そのほかに不妊症に対する治療でよく用いられる漢方薬はありますか?
比較的、気鬱に対する処方が多いのが実態です。私の経験上、多く使っているのがきゅう帰調血飲(きゅうきちょうけついん)で、古典「万病回春(まんびょうかいしゅん)」では産後の様々な症状に使うとなっていますが、不妊症の改善を目的に受診する女性で気鬱、血虚、瘀血、水毒などの症状を持つ人に使います。
きゅう帰調血飲の構成生薬には気を巡らす作用がある香附子(こうぶし)が含まれています。日本の戦国時代の医師・曲直瀬道三の著書で医学書の「啓迪集(けいてきしゅう)」には、太った人、痩せた人ともに妊娠しづらいという記述とともに妊娠を望む女性に対し「香を加えて血を養うべし」と記述されています。香はまさに香附子のことで、古来から子供を欲しいと思う女性が気鬱になりがちなことを示唆しています。
また、不妊治療で漢方薬とタイミング指導を行って妊娠に至った事例の文献では、女神散(にょしんさん)、加味逍遙散、四逆散(しぎゃくさん)、きゅう帰調血飲といった気を巡らす作用や肝を整えて鬱状態を解消する作用の漢方薬の処方が多かったと報告されています2)。
西洋医学でも過去にはストレスを緩和させることが妊娠の助けになるとの報告3)もあり、この点は漢方でも同様にストレスが妊娠へのブレーキとなっている場合は、それを外すことで妊娠に至ることはあるということです。
―妊娠では流産をくり返してしまうケース(不育症)も報告されています。この点で漢方治療の余地はありますか?
妊娠しても流産、死産という結果になってしまうことを不育症といいます。流産は全妊娠の10~20%に起こり、一般的に3回以上流産を繰り返すと習慣流産と呼ばれます。流産の8割は染色体異常が原因と推定され、この場合は治療できません。染色体異常の原因としては、夫婦のどちらか、あるいは両方の染色体が原因の場合、精子や卵子そのものの染色体が原因の場合もありますが、染色体の検査では異常のないことが多いです。男女とも高齢化が原因のひとつと考えられます。
また、出血時に血液を固めて止血機能を果たす凝固因子に異常があると、胎盤内で血液が固まって血栓ができるため、胎児に栄養が到達せずに流産、死産になることがあります。こうしたケースでは血液を固まりにくくする薬のヘパリンが投与されます。漢方治療では柴苓湯(さいれいとう)や当帰芍薬散が用いられることもあります4)。
不育症の原因はわからないことが多いです。しかし治療なくとも半数以上の方が妊娠継続します。漢方治療の有効性を証明することは難しいですが、漢方治療は不妊治療のストレスや体への負担を減らし、患者さんに寄り添う治療法です。
漢方医学と西洋医学を組み合わせた適切な治療を
―不妊治療は止め時を考えることが難しいといわれています。不妊症で漢方治療を行う場合、治療継続期間の目安はありますか?
2010年5月~2017年4月までに北里大学東洋医学総合研究所に子供を持つことを希望して来院した109人の患者さんのカルテ調査をしたことがあります。まず、この109人の約8割が35歳以上で、約半数は既にART、約1割は排卵誘発剤を使用しており、残りの4割弱はよくてタイミング法を行っている程度で積極的な西洋医学的治療は行っておらず、まずは漢方での不妊治療を希望する患者さんたちでした。これらの方のうち33人が最終的に妊娠に至っています。
妊娠した33人の西洋医学の治療状況は、14人が当初からのARTを継続、7人が排卵誘発剤の使用などからARTへと治療をステップ・アップ、11人は特に何も行わず、1人はARTを中止していました。
これら妊娠に至った患者さんは、治療開始から2年間までに妊娠しており、2年超の漢方治療継続での妊娠例はありませんでした。限られた事例とはいえ、この約2年間が不妊に対する漢方治療のひとつの目安になる可能性があると考えています。
―その他、不妊症で漢方治療を受ける際の注意点はありますか?
これまでの診療経験から、漢方治療のみで体調を整えることで妊娠に至ることが少なくないのは事実です。ただ、ここで改めて申し上げなければならないのは治療のゴールは妊娠、その結果としての無事な出産です。このように申し上げるのは、不妊で漢方治療を希望する方の中には、西洋医学に対して誤解があったり、おそれがあったりする方もいるからです。私自身、そうした方々に正確な情報をお伝えすることも重要な役割だと考えています。そして患者さんがARTを含むほかの選択肢をもっと早く知っていればよかったと後悔することがないように常に注意を払っています。その意味では患者さんによっては漢方治療をしながらも、早めに不妊の高度専門医療機関を紹介し、そちらの受診も推奨しています。
どのような患者さんがそうした対象になるかですが、一般に35歳以降妊よう性が低下すると言われます。そのため35歳以上がひとつの目安です。また抗ミュラー管ホルモン(AMH)というホルモン値も参考にします。これは個人差が大きいとは言われているものの、卵巣内にどれぐらい卵の数が残っているか、つまり卵巣の予備能を反映すると考えられています。この数値は当然のことながら年齢とともに低下していきますので、若年でも血中AMH値が極端に低い場合は不妊の高度専門医療機関も受診すべきと考えています。
- 参考
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- 志馬千佳ほか. 産婦人科研究漢方のあゆみ2008; 25: 99-105
- 大塚敬節. 症候による漢方治療の実際 29不妊・流産・難産, 2000; 南山堂. pp396-404
- Tamura H, et al. J Pineal Res 2008; 44(3): 280-287
- 藤井知行. 臨床婦人科産科 2012; 66(3): 256-260